昨日の太陽のサビアンシンボルは蟹座13度「とても目立つ親指で少し曲げられた一つの手」、
今日は蟹座14度「北東の大きな暗い空間に向いているとても年を取った男」です。
蟹座13度 とても目立つ親指で少し曲げられた一つの手
「とても目立つ親指で少し曲げられた一つの手」?
詩文だけ読むと何のことだかよくわからないですよね。
サビはんカードの蟹座13度の絵柄を見ると、4本指を伸ばして親指だけ曲げているのではなく、4本指は握って親指だけ目立って少し曲げられている形になっています。イメージとしては、ガッツポーズにも似た確信と強さが備わっているような気がします。
指を握っている形は、外側に対してオープンではなく、自分自身の中に隠し留めている状態を指します。あるいは、拳骨で殴る時のように、固い意志と力で相手を打ち負かす時とかにも使われます。
このシンボルでは、とても目立つ形で親指だけ飛び出てているので、何か意味ありげです。
強い決意や意志表示、自分にとって何か特別な強い信念やこだわりがあり、自分の中で疑う余地もない位、確信している様子。頑固な側面もあるでしょう。
13度:カリスマ性
蟹座13度 とても目立つ親指で少し曲げられた一つの手
ディグリー占星術 松村潔(著)
自分が確信していることについて、絶対に曲げないところがあります。うまく他の人に伝わらないことがあり誰にも言わず1人で固く閉じこもってしまう傾向もあるでしょう。。
※蟹座13度と14度のサビアンの絵柄は吉田先生のサビはんカードを使用しています。
蟹座14度 北東の大きな暗い空間に向いているとても年を取った男
北東の暗い空間に向いている年を取った男。
深層意識、自分の内側の奥底にある全くの無に遭遇します。孤独だったり寂しい場合もあるかもしれませんが、深く自分自身を探求し、老賢者となった人のことです。自分自身を深く探求するような側面があります。物事の本質を見抜き、智慧、溢れ出るほどの叡智、存在の根源を知る人です。
タロットで言うと、隠者のカードであり、OSHO禅タロットだと「ALONENESS 独りであること」のカードになります。人によってはその人を見たり、そういう状況の時に、孤独だったり寂しいと感じる人もいるでしょう。でもそうではありません。相手に依存する人にとっては集団に属せず、独りでいる人のことを孤独な人のように思ったり、寂しい老人だと認識してしまうのでしょう。その人が寂しい老人かそうでないかは、その人の精神や心理状態によります。
存在や宇宙の神秘を知る孤高の賢者なのです。この度数を持っている人が皆が賢者ではもちろんないでしょうけれど、自分自身を深く探求するような側面があるのではないかと思います。
Ⅸ ALONENESS 独りであること
ひとりでいるとき、あなたは独りではない。ただ寂しいだけだ―。寂しさと独りあること、そのあいだには途方もない違いがある。寂しいとき、あなたは誰かのことを考えている。相手がいなくて寂しいのだ。寂しさはネガティブな状況だ。あなたは、もし誰かがここにいたらもっとよかったのに、と感じている。友人、妻、母、恋人、夫がいたらと―。誰か相手がいたらよかったのに、その相手はいない。
OSHO禅タロット
寂しさは他者の不在だ。独りあることは自己の現存だ。独りあることはひじょうにポジティブだ。それは現存、あふれ出る現存なのだ。あなたはあまりにも現存に満ちあふれているので、自己の現存で全宇宙を満たすことができるし、誰かを求める必要もない。
14度:特異なものを日常的に浸透させる
蟹座14度 北東の大きな暗い空間に向いているとても年を取った男
ディグリー占星術 松村潔(著)
自分の閉鎖的な決意や意思が、生活のすみずみにまで浸透して、孤立的であるが、深みのある生き方ができます。
潜在意識の奥底を探っていくと、無というのか、暗闇のような何もない空間に遭遇することがあります。
無や暗闇というと、孤独で物悲しく、寂しいような気がするかもしれませんけれど、それは普段私たちが意識している顕在意識からするとそのように感じるだけで、しばらく馴染んでいると寂しくなくなってきます。私たちはその無から生まれてきたのですから。虚無のように思えるかもしれませんが、実は満たされている無で、無は全て、本当は広大な意識、宇宙や存在の根源なのです。
まとめ
蟹座13度と14度のサビアンシンボルについて。
蟹座13度 「とても目立つ親指で少し曲げられた一つの手」 強い決意や意志表示、自分にとって何か特別な強い信念やこだわりがあり、自分の中で疑う余地もない位、確信している様子。頑固な側面もあるでしょう。
蟹座14度 「北東の大きな暗い空間に向いているとても年を取った男」 深層意識、自分の内側の奥底にある全くの無に遭遇します。孤独だったり寂しい場合もあるかもしれませんが、深く自分自身を探求し、老賢者となった人のことです。自分自身を深く探求するような側面があります。物事の本質を見抜き、智慧、溢れ出るほどの叡智、存在の根源を知る人です。