瞑想 目撃の段階

瞑想

何だか最近、どういう訳か、物の見え方(?)が変わってきているようです。
他人の想念や感情が詳しく見えるようになってきたのです。
瞑想していると時々意識が拡大したり、奇妙なことが起きますけれど、その一種でしょうか。

今までと今の見え方の違い

今まではリーディングの個人セッションの時だけ、リーディングのスイッチが入り、お客さまの質問に関連している人たちの様子や考えてることなどがわかる形でした。日常生活で、町を歩いている人の考えていることなど、わかりたくもないので、通常はいつもスイッチが切れてまして、他人の想念や感情など、詳しいことは全然わかりません。

今でも、通りがかりの人のことは全然わかりませんけれど、ZOOMなどでお客さんが喋っている様子を映像で見ると、その人物が表面上で喋っていることとは別に、その人が顕在意識ではあまり気づいていないであろう、潜在意識か無意識でずっと考えている根底の想念というのが、どういう訳か、見えるようになってるのですね。奇妙な話ですみません。

漫画の吹き出しで、文字で考えていることが見えるのとはちょっと違い、文字ではないのですけれど、今までよりも細かくその人の感情や想念が見えるようになっているようです。自分でも「想念が見える」とういうのがどういう意味なのかわかりませんけれど・・・。

イラストの例でいくと、女性が私と話しています。その女性は私と話しているのですけれど、その女性が見せる、一瞬の表情から、普段その女性がある男性に「こんなことを言われるのではないか、こんな頼み事をされるのではないか?ああ、どうしよう?」と心配している想念が表情の隙間から見えるのです。※ある男性はその場にはおらず、その女性の日常生活で会う人なのでしょう。

リーディングのセッションの時は、質問されて、誰かの考えていることを読み取る時に、想念が浮かぶというのか、聞こえてくる形です。直感で読み取っているか、テレパシー的に聞こえてくるかのどちらかだと思います。

上手く説明できませんけれど、最近の「想念や感情が見える」というのはテレパシー風にわかるのではなく、「見える」ってカンジです。でもその人の思考回路が全部見えるのでもありません。その人が普段考えていること全般にはある意味で興味がないため、それは全然わかりません。

私は、その人の一番大きな問題や悩み、上手くいっていない部分に関連している、無意識・根底にある観念・イメージに気づいて変換するセミナーをやっているため、それに関連している想念が無意識や潜在意識で働いているときのみ、よくそれが見えるようになった、みたいなカンジです。

その人の一番大きな悩みや問題と関連している想念群というのは、日々の生活で無意識的によく考えているのだと思います。

なぜそのように見えるようになったのか?それはカバラを習ってまして、自分のネガティブな想念群に気づいたお陰でそれらが消えていったり、感情ワークで無意識下にあった沢山の感情を解放したカバラの授業の後からです。瞑想しているとよく妙なことが起きますけれど、その一種ですね。

瞑想 目撃の段階

瞑想では、よく観照しなさい、観照者、目撃者になりなさいと言われます。
自分の身体の動き、感情や想念を見守ることによって、内側に入っていくのです。

純粋な目撃最初の段階であなたが目撃しいるのはただ身体の動きだけだ。
第2段階であなたが目撃しているのはマインドの動きだ。
第3段階であなたが目撃しているのはハートの動きだ。
第4段階であなたが目撃しているのはあなたはただ目撃そのものを目撃している。

だからもし目撃することに目を向けるならそれは同じ現実だ。分かつことはできない。しかし目撃する対象に目を向けるならそれは段階に分けられる。だから身体の動きだけを目撃している人はその段階を越えた人、マインドを思考を夢を想像をマインドに可能なあらゆる活動を目撃している人によって大いに助けてもらえるだろう。
第3段階にいる人が助けることができるのは第1と第2段階の人の両方だ。なぜなら彼は今ではとても微妙なムードや気分、感情、とても細かくとても微細でとても不安定な感情を目撃している。
そして第4の最終段階に達した人は3つの段階すべての人を助けられる。助けというのはある種の勇気づけのことだ。

 OSHOの言葉

よくわかりませんけれど、瞑想の第2段階のマインドの動きが目撃できるようになってきたってことでしょうか?

第3段階のハートの動きを目撃する。「ハートの動き」というのは、これはいったい何を指すのでしょうか?謎です。

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