エジプトの死者の書

アヌビスと天秤 スピリチュアル

最近、エジプト神話にも興味を持つようになりました。
何故かというと、瞑想やワーク中に出てきたシンボルを調べているからです。

前世のどこか(?)、私の記憶の中で、私は真実の部屋にいたことがあります。
そこでは嘘は言ってはいけず、真実のみを語らなくてはならないのです。

真実のみを語らなくてはならない

真実のみを語らなくてはならない
私は前世のどこかでその修業をしていたため、今生でも私は自分にとって嘘の言葉は出来る限りつかないよう、何故かいつも細心の注意を払っています。

  • 嘘の言葉を発してはならない!!
  • 自分にとって真実のみを話す。

自分が嘘のつもりではなく、信じている事柄で、後で実は違っていたと気づくことならあると思います。

日常でもどういう訳か嘘の言葉を発してはならないと思っているため、嘘は言わないで済むようにもっていきます。
嘘でない範囲のことだけを言い、後はあえて言わずに黙っておくとかですね・・・。
聞かれてないことはわざわざ喋らない、というならアリです。

嘘はつかないお陰で、私は喉のチャクラの状態はとても良いみたいです。嘘は言いませんから、きっと喉のエネルギー(第5チャクラ)が濁らないのでしょう。嘘を言うと、喉のチャクラのエネルギーがネジ曲がりますから・・・。

ただ単に前世の何かの行だっただけだと思っていましたが、エジプトの死者の書の本を読んでいたら、オリシス神の死者の裁判という箇所がありました。

死者のための裁判の間

エジプトの死者の書に書かれている内容です。

心臓イブ)を天秤にかける死者の裁判の章は有名である。真理の女神マアトの羽根(真実の羽根)と死者の心臓がそれぞれ秤に乗っており、魂が罪で重いと傾くようになっている。秤の目盛りを見つめるのは冥界神アヌービスで、死者が真実を語れば死人はオシリスの治める死後の楽園アアルへ、嘘偽りであれば魂を喰らう幻獣アメミットに喰われ二度と転生できなくなる、とされる。

死者の書 (古代エジプト) – Wikipedia

ちょうど何故か1週間前にアヌビスの置物を偶然見つけ、購入しました。
アヌビス(の置物)と目が合ってしまい、可愛いと思ったからです。
なんだかよくわかりませんけれど、ただ可愛かったのです。

アヌビスの意味なんてよく知りませんので、調べてみました。(Wikiとエジプトの死者の書の本)

どうやら死者は、オリシス神の死者の裁判を受けなくてはならず、
死者は「真理の間」に入り、罪の否定告白というのをしなくてはならないそうです。

死者が真実を語っているかの審議されるのが、死者のための裁判です。天秤の片方に真理を象徴する「羽根」、もう片方に死者の心臓が置かれ、アヌビスがその目盛りと傾きを見入っている。

真理をあらわす「マアトの羽根」と比べて釣り合えば真実だと認められ、天秤がわずかでも傾けば、虚偽であると神々によって断定され、アメミトに心臓を貪り食われるのだとか。

図説 エジプトの死者の書より。

イメージ画像のアヌビスと天秤にはマアトの羽根と心臓は乗せていません。
残念ながら、天秤に羽根と心臓が乗っているイラストはありませんでした。

真理の間

真実のみを語らなくてはならない「真理の間」。
私の記憶のどこかに存在する、真実の部屋って、もしかして・・・・「真理の間」のこと?!
今までずっと私が(私にとって)真実のことしか話さないようにしてきたのは、このエジプトの死者の書の内容と関連しているのでしょうか?

エジプトの死者だったのか、何なのか、そこまでは思い出せません・・・。
背景はぼやけていて、覚えていないのですけれど、エジプトが関連していて、真実のみを語っていれば、光が差してきて、上に上がれるというところまでは覚えています。

あまりんはサニヤスネーム&仕事ネームですけれど、ちなみに本名の名は「真理」です。

深まる謎、瞑想ワーク

1週間前の瞑想やワークで出てきた、今後仕事で必要なこと。

  • 真実の目を獲得すること
  • 真実を見通す目を獲得すること
  • サット

意味を問いかけたら、八正道に出てくる、「正見」を獲得することという返事が来ました。

見られているものは変化している。すべてのものは変化して、ただ見ている存在があります。それは肉体の目で見るのではなく、「自己」で見ます。そこからの意識が見ています。それが正しく見るということです。やがてすべてが消え、自己、魂そのものになるのです。それは「永遠の今」にあるのです。

心の奥には「個人の魂」、さらにはそれに続く「宇宙の魂」があり、それが本当の自分なのです。魂から現れる純粋なエネルギーは、常に愛や生きる喜びにあふれています。魂からまず、純粋な心と体が現れます。

すべてのものは変化し、消えていく。
そのことに気づくのが本当の正見(しょうけん)です。

ブッダは、外に見るもの、さまざまな対象は、すべてはかない存在であり、変化し、やがてなくなるものと悟りました。いっさい無常であると悟ったのです。

 八正道より抜粋 ヨグマタ(著)

サットって何?と思って、またインターネットで調べてみました。
サンスクリット語に、サット・チット・アーナンダという言葉があります。
サット(存在)、チット(意識)、アーナンダ(至福)

サットとは何でしょうか?

  • 存在
  • 過去、現在、未来という3つの時間に、変わらず存在するもの
  • 真理、純粋なもの

どうやらヨグマタやKanさん、OSHOが言う、ただ見ている存在、観照者の意識になる必要があるようです。

瞑想やワークで浮かんだ色んなシンボルや回答と、アヌビスが何かしら関連しているのまではわかるのですけれど、まだ完全にはつながっていません。

こうやって、瞑想したりワーク、夢で出てきたシンボルや言葉で意味がわからないのがあり、調べていくと、更に謎が深まり、調べる羽目に・・・。

私自身は探求・追求していってものすごく興味深くて、面白いのですけれど、きっと他の人は全く興味がないですよね。

もう完全に開き直って、私独自の道を歩むことにします!!

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