インドでのスピリチュアル生活と日本

インドでのスピリチュアル生活と日本 癒やし

昔、インドのアシュラムで瞑想したり、自由に好きなことをしながら色んな国の人たちと楽しくコミューン(コミュニティ)での生活をしていて、日本に帰ってきた時、ここはなんて酷い国なんだと思いました。

物質的には豊かで、清潔で、日本の車はまるで輝くように光って見えました。インドの道は埃っぽく、ガタガタしているのに、日本の道は真っ直ぐで車に乗っても快適!!インドの車やリキシャー(三輪のタクシー)はホコリで薄汚れているのに、日本の車の綺麗さと言ったら!!まるで後光で光っているかのように、眩しく見えました。

物質的にはとても豊かなのに、何が酷いと思ったか?それは仕事などで疲れ切った人達です。特に東京は最悪で、生きてるのか死んでるのかわからない、まるで死んでるかのようなゾンビみたいな人たちが街をヨレヨレと徘徊しているように見えました。。。私にはゾンビの印は、サラリーマンのネクタイでした。生気のない疲れ果てた人たち。満員電車に乗り、立ったまま寝てる人もいる。酔っ払って道で寝てる人もいる。まるでゾンビのようでした。
「なんだろう?このゾンビたちは!?」

そして東京は歩いているだけで、エネルギー(オーラ)の壁に当たるので、歩くのもちょっとしんどかったです。皆活き活きと楽しくオープンなインドでのスピリチュアル生活とは違い、特に東京の人たちは、心が閉じていて辛そうでした。

何が一番違うかというと、ハートが開いていて、皆が超ハッピーに暮らしていたコミューン生活とは違い、一般的な日本の人たちは生活が楽しそうでなく、活き活きしていない点でしょうか。インドのコミューンでは、愛と瞑想がベースにありました。一般的に言われている「愛」という言葉。インドのアシュラムでは全然違う意味でした。アシュラムでは、「条件付きの愛というのは愛でない」と言われ、嫉妬したり、誰かが何かしてくれるなら愛するというようなのは愛ではないと教えられてきました。

自分が本当にその人を愛しているのなら、その人を自由にするものだ。制限や条件付きの愛は愛ではない。そう教わってきました。

色んな概念や価値観が日本の社会での認識と180度違いますし、日本に帰ってきて、酷いカルチャーショックを受けました。学校では試験などがあって、人と競争するシステムですよね。子供の頃から人と競争するよう、人と比較して、より優れた成績をとるように教わるというのはどうなのでしょうか?そんな風に教わって育ったら、常に誰かと比較・競争していなくてはならないのですから、もちろん大人になっても心休まらないですし、ストレスがたまるでしょうし、辛いでしょう。

インドから帰ってきて、日本での生活はまるで弱肉強食の恐い世界に見えました。巨大な肉食恐竜が沢山いる場所にいきなり放り込まれた、小さな草食動物のような気持ちでした。なんて恐ろしいところなんだろう!!

あれから30年近く経ちました。その間、派遣で事務の仕事を大小様々な会社でしていた時期が十年ちょっとあり、サラリーマンやOLさんの気持ちや状況もよくわかるようになりました。そして私も満員電車で立ったまま、手すりにつかまりながら瞬間なら寝れるようにもなりました。インドのアシュラムのような生活、意識に近づこうと、自分自身をずっと癒やしてきました。

30年近くもかかりましたけれど、やっと精神的にはだいぶインドのスピリチュアル生活をしていた時のような意識に近づいてきました。やっとこれでスタートラインに着いたところのような気がします。

これからは自分のやりたいこと、色々始めようと思います!!

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